ろ過用途を中心に建材やシリコンなどのフィラーとして、食品添加物である 珪藻土(けいそうど)製品に
関する歴史や工業利用、化学的物質特徴、嵩密度や 粒径などの情報を公開しています。

珪藻土とは?

珪藻土の基礎情報

和名 珪藻土(けいそうど), アモルファスシリカ
英名 Diatomite , Diatomaceous earht , silicon dioxide , kieselguhr
別名 藻土 珪藻 トリポリ セライト ラヂオライト
元素名 二酸化ケイ素, 無水ケイ酸
類似名 ケイソウ 珪殻 珪酸 ケイ酸 シリカ 珪藻土シリカ
構成する主要な元素 O、Si、Al、Fe 等

 

珪藻土は現代化学工業と共に用途が拡大し、多種多様な業界で主要な助剤、原材料として使用されてきた為、非常に多くの造語や各業種専用用語が存在しています。
珪藻土は植物性プラントンの1つである珪藻(ケイソウ)が化石となり、堆積したものをさします。
鉱山から採掘し、工業製品化したものは珪藻土メーカーの商品ブランド名や用途別に珪藻土濾過助剤などと呼ばれますが、工業製品化したものを珪藻土と混同して呼ばれる事もあります。当HPでは、化石から原土までを珪藻土と、工業製品化したものを珪藻土製品や用途別に珪藻土濾過助剤、珪藻土充填材などと区別して表示します。

珪藻土の主な構成元素はSiO2(二酸化ケイ素)で、二酸化ケイ素は別名シリカと呼ばれています。二酸化ケイ素を主な構成元素とする他の鉱物は、石英、珪砂、珪石などがあります。
二酸化ケイ素は、原子番号14のSi(ケイ素)の酸化物で、Si(ケイ素)は地球上で酸素の次に多い元素です。酸素・炭素・他のケイ素と結合することでシリカ、シリコン、シリコーンと多様な化合物となり、あらゆる分野で活用されています。

更に詳しい科学的な特徴は【珪藻土の化学的物質特徴】ページをご参照下さい。

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珪藻土の概要

珪藻土は、石炭や石油などと同様に化石資源です。珪藻と呼ばれる植物性プランクトンの死骸が海・湖の底に堆積し、分解される前に噴火や水流、地形変化で生まれた密閉空間内で化石化した場合と、水流の無い閉鎖された湖などで大量繁殖した珪藻が沈澱し、無酸素状態のまま堆積して化石化した場合の2パターンのものが存在します。
珪藻土は、珪藻の外殻(細胞壁)だけが残り化石化しており、細胞壁を構成していたSiO2が、珪藻土の主な構成元素となります。

珪藻土鉱床は世界各国に分布しておりますが、工業的に利用できる純度・鉱量を産出できる鉱床は限られており、海外ではアメリカ、メキシコ、チリ、ペルー、中国、インドネシア、アイスランド、フランスなどで、日本国内では北海道、秋田県、石川県、岡山県、大分県で、採掘が行われています。採掘方法は露天掘り、坑道掘りが広く採用されていますが、アイスランドでは湖底の泥状の珪藻土をポンプで採取するなど、鉱区の珪藻土の賦存状態により多様化しています。

なお、石油など他の化石鉱物と異なり、採掘される珪藻土原土は、堆積年数の長短、堆積中の地殻変動の影響の有無、優占種の形状などにより、製品化されると異なった特徴を示します。

■珪藻土固有の細孔構造

珪藻土は全体に広がる細孔がある事が特徴的な鉱物です。化石化は珪藻の細胞壁がその形を保ったまま無機物になる事で起こり、珪藻の細胞壁は全体に細孔を有しているため、化石化した珪藻土も同様に全体に細孔を有しています。但し、堆積期間における地盤隆起等による圧力により、細孔が壊れるなど形状に変化があり、化石化前の珪藻の種類による差異(形状・細胞壁の細孔の大きさ等)と合わさって、採掘される鉱区(堆積地)毎の特色となっています。

なお、岡山県で採掘される珪藻土鉱床は10万年前の地層と、世界的にみても他の鉱床と比べ非常に新しい地層であり、また、地盤隆起がほとんど行われなかったため、細孔構造が良く残されており、珪藻土製品の主要用途である濾過助剤として、高い濾過性能を示しています。

また、細孔構造が水分や油分を保持することを利用して、多種多様な液体・気体を保持し、または保持(吸放湿性能など)することを期待した使用が行われております。代表的な例としては、肥料・薬剤を含浸させ農場に撒くことにより、長時間効果を維持させる農薬・土壌改良剤としての使用方法などです。

■SiO2(二酸化ケイ素/シリカ)純度

SiO2(二酸化ケイ素/シリカ)の純度については、化石化の過程や堆積中の地盤変化により差異が出ることが多く、シリカ純度の違いによっても珪藻土製品としての使用用途は異なります。
シリカ純度が高い珪藻土製品の主要な使用用途は濾過助剤、充填材、担体などです。

珪藻土製品の用途別に求められる品質と、用途別の珪藻土製品を使用することによるメリットについては、【珪藻土の用途】のページをご確認下さい。

なお、近代工業における珪藻土製品の利用に至るまでの軌跡を下記の【珪藻土の歴史】にまとめましたので、興味のある方はご確認下さい。

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珪藻土の歴史

珪藻土鉱床は世界各所に確認されておりますが、近代工業で使用できる品質・鉱量があり、現在大規模に採掘されている鉱床はアメリカ、メキシコ、チリ、アイスランド、フランス、スペイン、中国、日本に限られています。
但し、近代工業以前には世界各地で採掘され、人間生活の向上に供されてきました。

~黎明期 人類と珪藻土の初めての出会い~

人類の歴史に珪藻土製品が登場するのは、今から2000年前の昔、ギリシャの地理学者ストラボン(63 BC~AD 23)が断熱性に優れた水に浮くきわめて軽い建築材料として著書「Geographica」に記したのが最初と言われています。軽量レンガの原料として広くギリシャ社会で使用されていたようです。現在確認されている珪藻土建材を使った最も古い建物は、トルコのイスタンブールにあるビザンティン式建築の最高傑作である「ハギア・ソフィア大聖堂」であり、AD532~537年にかけて完成した直径32メートルの上部ドームに珪藻土で作った軽い建材が使用されています。

また、当時はその主要な産地がトリポリであった為、そのままトリポリと名付けられ、珪藻土(トリポリ)は宝石などの貴金属の研磨剤として長らく使われたと言われています。

一方、日本では、大飢饉時の非常食としての数々の記述のほか、1615年 江戸幕府の二代将軍徳川秀忠が、現在の石川県正院町飯塚にある珪藻土を切り出し、かまどや炉を作るようにと指示したとの記録が残っています。当時の日本では一般的な珪藻土を「いわ」、粘度の高い珪藻土を「味噌岩」と呼び、水分を含み粘土質な珪藻土層を切り出し、そのまま運び民家の台所などに釜戸として成形するなどして使っていたと記録されています。なお、石川県では昭和初期(1950年頃)まで建材としての使用技術が脈々と受け継がれ、断熱レンガやセラミックファイバーなどの使用用途に発展していきました。

また、日本における産業利用の記録として、1660年頃より石川県輪島町小峰山から出土する珪藻土(当時は味噌岩と呼称)を漆に混ぜ、漆を塗る前の下地材に使うと優れた耐久性が得られる事を経験から会得し、高品質な塗料・下地材として「地の粉」と呼ばれ産業利用され初めました。現在までも製法などが脈々と受け継がれ、世界的にも有名な「輪島塗」において「地の粉」として珪藻土が使われ続けています。

世界各地で使用されていた珪藻土ですが、珪藻の化石であることを発見したのは、1836年にチェコのボヘミア地方にあるカールスバードのクリスチャン.フィッシャー氏とされています。クリスチャン.フィッシャー氏は、トリポリ産トリポリ(珪藻土)とボヘミア産トリポリ(珪藻土)の性質が異なる事に着目し、トリポリを詳細調査した結果、珪藻の珪殻から出来ている事を発見しました。

~相次ぐ発見と工業利用の始まり~

長らく珪藻土を原土のまま成形使用していた人類は、19世紀に入り精製した工業製品としての使用を開始します。そのきっかけは、1850年にドイツの化学者であるユストゥス・フォン・リービッヒが、水ガラスの製造に珪藻土を使う方法を実験から考案したこと、更には1866年にノーベル賞で有名なアルフレッド・ノーベル氏がニトログリセリンを珪藻土に染み込ませる事(担持体として使用する事)でダイナマイト製造を完成させた事であり、それら使用方法の発明により珪藻土製品の本格的な工業利用が始まりました。

実際にダイナマイトの原料として使われたのは10年間程度で、ブラスチングゼラチンに置き換わり(使われなくなる)ますが、この使われなくなった理由「ニトログリセリンを染み込ませて使った時にニトログリセリンに干渉しない安定性(不活性性能)、アルカリ性溶液には容易に融解するが酸には抵抗する、つまり爆発しにくい性質」が、結果的に広く珪藻土の工業的利用を知らしめる結果となったようです。

この頃から急速に科学的手法を用いた珪藻土研究が進み、発明や発見が相次ぐことになります。代表的な発明では、有機物、アルカリまたは土類金属を混ぜて燃焼する濾過助剤の製造方法が考案され、現在でも行われている融剤燃焼法の原型が発明されました。
他にもベルケフェルト型濾過機器を発明したW.ベルケフェルトは、珪藻土で作った円筒内へ細菌を培養した濾液を滲出させて濾過試験を行った結果、珪藻土の種類によって濾液の結果が異なる事を確認し公表(抗生物質の製造方法の基礎が確立した)したと言われています。

珪藻土がアニリン色素を脱色する事実は、経験則から解っていましたが、この脱色作用は化学作用によるものではなく、粒子の表面に色素を吸収する結果である事を実験的に証明(何でも濾過してしまう特性が証明された)など、珪藻土は様々な優れた性質がある事が次々と証明され、急速に使用用途が拡大し、それと共に消費量が増加していきます。

~発展期 花開く珪藻土の利用発明~

更に珪藻土製品の使用を促進する発見が19世紀後半よりなされ、2つの大きな分野での使用が開始されました。

1つ目は触媒分野です。1875年に白金触媒による硫酸製造法、1902年にニッケル触媒による硬化油製造法、1908年に鉄触媒によるアンモニア合成法、1914年にアンモニア酸化による硝酸合成法の工業化、1923年に混合触媒によるメタノールの合成法など画期的な発明が相次ぎ、上記はいずれも珪藻土製品を利用する事で、製造方法が確立されました。

もう1つは、製糖分野です。1886年にドイツ人化学者F.G.ウィヒマンが、ジャワ島の粗糖工場で糖汁に珪藻土を添加して濾過を試みると高い清澄性を得られる事を発見し、それまで濾過効率が低く不純物が多く、見た目が悪かった砂糖が、現在の不純物の無い砂糖に生まれ変わり透明なシロップも生産が可能になりました。また、珪藻土濾過助剤を使ったスイートランド濾過機が発明されると、生産量も飛躍的に増える結果となりました。

1880年頃より始まった相次ぐ発明は、1920年代には世界中の生産現場に浸透し、生産が追い付かない程に急速に消費量を伸ばして行きます。
世界では最初はドイツを中心に珪藻土製品の用途発明が相次ぎましたが、第1次世界大戦後に急速に力をつけ始めたアメリカがリードする様になり、やがては世界的な独占企業に成長しつつあったジョンズ・マンビル社を中心に発明と珪藻土製品(商品名:セライト)の生産、供給が行われました。

この頃より、日本でも珪藻土製品の産業利用が開始され、珪藻土製品の技術はアメリカからもたらされることが多く、珪藻土製品の名前を商品名のセライトと覚える技術者が今でもいる由縁はこの頃からの歴史的背景があります。

この様に、日本にも珪藻土の工業的利用が徐々に広まっていきますが、明治維新が終わり大正時代に入ったばかりで技術的にも未熟であり、工業的な珪藻土製品消費量の全量を輸入に頼っていたため、日本に珪藻土鉱床は存在しないと考えられていました。

~広がる珪藻土の利用方法~

製糖業界で生産量と濾過性能に変革を起こし、安全性も証明した珪藻土製品は一気に他の業界でも使われ始めます。世界的に消費量が増加の一途をたどり、日本においても同様に消費が拡大しており、深刻な供給問題を引き起こします。

日本は1894年に日清戦争で勝利し、新しく台湾を新領土として得ており、新領土の新しい産業として砂糖の製造を主要成長産業として定め、生産を拡大させていました。しかし、世界的には技術水準が低く、輸出より輸入が多い中で、珪藻土濾過助剤全量を輸入に頼る構造的状態が問題視されるようになりました。そこで、全国の鉱床探査が行われ、日本には大小合わせて60か所以上の鉱床が発見されました。

そのような構造的な問題を解決するために実施された鉱床探査により、日本各地で工業向け珪藻土製品の製造が開始され、各地で小規模な珪藻土メーカーが誕生しました。

これらの動きに加え、秋田県の珪藻土鉱床でセライトと同等品質の鉱床が発見されると、当初はジョンズ・マンビル社が供給するセライトが、日本市場を独占していましたが、緩やかに国産品が国内に流通し始めます。

そして、第2次世界大戦が始まると、アメリカとの通商が途絶え、この状況が、国内の珪藻土メーカーの生産力を飛躍的に高め、生産メーカーの統廃合を繰り返しながら品質も世界標準へ高めるきっかけとなりました。

時を同じくして、珪藻土製品が石油や鉱物資源の精製にも使える事が判明し、戦時中には軍需物資として船舶、航空業界と同列に扱われる事で、政府の支援を受けながら急速に規模を拡大、更には例えば第2次世界大戦後はペニシリン(抗生物質)の製造で医療分野、特に培養、発酵などの分野での用途が拡大し、生産量・品質共に世界標準レベルに到達しました。

この頃には日本の珪藻土メーカーの統廃合が進み、日本トーライト株式会社(昭和化学工業と昭和41年に合併)、白山工業株式会社、昭和化学工業株式会社など数社に再編されました。戦前まで年間数百トンであった珪藻土製品の国内消費量は、高度経済成長期には数万トン単位まで膨れ上がり、それに合わせて各珪藻土メーカーは独自の採掘方法や精製方法を確立し、供給と品質が安定することで、日本の経済発展を広く支える役目を果たしました。

近年では優れた防火断熱性能、遮音性能、調湿性能を備え、非アレルギー物質であり、シックハウス症候群への対応品として、自然由来の高品位な建材(珪藻土壁や壁紙、骨材)にも広く使用されています。

更に詳しい用途の説明などは【珪藻土の用途】をご覧ください。

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